顔に何か塗りながら暮らしています
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母の一家は、今はもう面影ない炭鉱の町、北海道美唄市で生まれ育った。祖父という人は末っ子の母が小学生のうちに美唄労災病院(現在は北海道せき損センター)に入院し、じん肺が治ることなく亡くなった。祖母は孫にあたる私が影も形もない時に、父と早く結婚するよう勧め母についてきた関東で亡くなった。
センシティブな話題であるが私の父は1945年1月に広島市内で生まれたが父方の祖母は身重だからとほかの息子2人を連れさっさと広島の山奥に疎開していた。そうでなければこの一家は生き残らなかっただろう。その時代、学校なんか何のその、ということらしい。
母方のおばたちのうち何人かは、父のことを嫌っていたらしい。そんな言葉が私にも投げつけられたが、そのため父は一切そのおばたちの対し家にこさせなかった。祖母はどうして娘たちの気に障った原爆のことも全然気にすることなく母との結婚をむしろ勧めたのだろうか?もうその不思議は解けないと思う。ヒントがあまりにも無さすぎる。
母はあの一番上の兄に対して非常に辛辣な感情を持っている。私の知り得ない感情なので具体的に書くしかないが、彼はじん肺で亡くなった祖父の後に北海道大学へ進学し火力発電の効率化の研究をした。その反面、幼い弟妹へのあれこれはしなかったというかできなかったということだろう。母はいつも飴を食べさせられていたという。ひどいすきっ歯だったらしい。食事は高校へ行っていた兄姉が帰ってきてから作ってもらっていたらしい。祖母は…既に健康状態が悪く時々入院していたと聞く。自分を悪く言われようとも、私は彼らの背景を知りたい一心で話をちらほら聞き出したがなかなか表と裏がかみ合わず、とにかく共通点としては祖父は早くに亡くなり祖母は入退院を繰り返し、長男は北海道大学へ行き生活を別としたのを母は「私たちを見捨てた」と怒りを抱いている、ということだ。
私たちはわかり合えない。何があったのやらと事態を把握することすらできず、ここに出てきた登場人物のほとんどと口を聞いたことがない。私は通り過ぎただけだ。通り過ぎただけの娘が「話をしろ」と求めるのもなにか威圧的すぎる気もするので、私はそう願ったことがある、というものをここに書き留めるだけにしよう。もう母を静かに見送らせてもらおうという計画だけが、私の中にはある。
#昔のこと